見えないけれど  2016年05月01日

 風は目には見えませんが、いろんな香りを運んでくれます。しかし、忙しい毎日を送っていると、目の前にある事でいっぱいになり、匂いに気づかずに過ごしている事が多いです。

 いつかは幸せいっぱいに過ごしたい、誰もがそんなお気持ちで毎日を送られているのではないでしょうか。もちろん、その「いつか」は、この生涯であることが多いでしょう。私だって同じです。家族仲良く幸せになりたい、そう思っています。でも、いつかの幸せではなく、確実に幸せになれる場所があるのです。そんな所に行ってみたいと思いませんか?
 経典には、「極楽という世界は安楽しかない世界である」と説かれてあります。一切の苦がないのです。阿弥陀さまは、「我が名を称える者を必ず極楽に救う」と仰っています。阿弥陀さまは、念仏を称える私たちを極楽に救おうと、遠い極楽からいつも救いの光を照らして見守ってくださっているのです。しかし、私たちの目に見えるものではないのです。
 私たちは、忙しいと風の香りを感じることができませんが、風は確かに香りを運んでくれています。同じように私たちには、阿弥陀さまの光を見ることはできませんが、阿弥陀さまは確かに光を照らして私たちを見守ってくれています。

 この世での幸せを求めるために、日々を送ることは決して悪い事ではありません。ですが、その先の確実にある「安楽」も見据えて頂きたいのです。それは日々、南無阿弥陀仏と称える事で与えてもらえるのです。
合掌