当山は、文禄5年(1596)に、現在の西区江之子島に信誉宗念上人が創建しましたが、その後徳川家康の都市計画により現在地に移転したと伝えられています。
昭和20年(1945)大阪大空襲で山門以外の全ての堂宇を焼失しましたが、戦災を免れた山門は400年余りの年月を経て現在に至ります。山門の装飾には木製の乳唄を使っています。空襲により本堂は焼失しましたが、当時の住職18世念誉正本上人により阿弥陀如来像を焼失から守りました。
当山阿弥陀如来像は左手を上げているのが特徴で、平成21年に大阪市の指定重要文化財に指定されました。
裏庭には毎年7月中旬に見ごろを迎える八重の白蓮華があり、多いときには100近くの花がいっせいに開きます。また、大阪市の保護樹林の指定を受けた樹齢400年以上の「黒金もち」「もっこく」木も見所です。
山門
阿弥陀如来像
八重の白蓮華
江戸時代、西国三十三箇所や四国八十八箇所などの各種巡礼が盛んとなりました。浄土宗でも、江戸中期に「法然上人二十五霊場巡拝」が始まり、今も連綿と続いていますが、それに先立って成立したのが、大阪の四十八箇寺の浄土宗寺院にお参りする「大坂四十八箇寺阿弥陀巡礼」です。阿弥陀仏の四十八願にちなんだ巡礼といえます。このたび、平成23年の法然上人八百年遠忌を記念して、長らく廃絶していたこの巡礼を「大阪新四十八願所阿弥陀巡礼」として再興いたしました。大半のお寺が大阪市内中心部に集まっています。
当山は、「大阪新四十八願所阿弥陀巡礼」の四十四番所として、阿弥陀仏の四十八願のうち、四十四番目の「具足徳本の願」(ぐそくとくほんのがん)を説いています。
「他の浄土の菩薩達が、私の名前を聞いたならば、躍り上がるほど喜んで、菩薩の修行を修し、功徳を具えることになりますように。」と訳されます。
また、和歌では、
と詠われ、「極楽で修すべき六波羅蜜(ろっぱらみつ)の修行を成就したならば、それはあたかも満月の光が自分に寄り添っているようであることよ。」と説かれています。
文禄5年(1596) | 信誉宗念上人が創建した。当初は現在の西区江之子島にあったが、家康の都市計画により現在地に移転したと伝えられる。 |
昭和20年(1945) | 大阪大空襲で山門以外のすべての堂宇を焼失した。 |
昭和45年(1970) | 本堂等を再建した。 |
平成21年(2009) | 本尊阿弥陀仏像は左手を上にする「左上の弥陀」が大阪市有形文化財に指定された。 |
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