祖父がお寺で臨終を迎えるころ、父が枕元でお念仏をお称えしました。13歳だった私は、「おじいちゃんはまだ死んでない」と心で猛反発していました。十年の時を経て、阿弥陀さまに導いて頂くためだったと知りました。
「悪いことしたらエンマさんに会って、地獄に行くことになるで」と小学生の頃、祖父母から言われて育ちました。今考えてみると、とてもやんちゃな子どもだったのでしょう。きっと祖父母からすれば、やんちゃが治るようにとの戒めだったのかもしれません。ちょうどその頃、地獄の絵本を読んだこともあり、なお一層その言葉が怖かったのを覚えています。それからというもの、私は死ぬことが怖くなりました。それは、中学生・高校生を経ても拭い去ることはできなかったのです。でも、今は違います。死ぬことを考えると未だに怖いですが、往く末は極楽浄土なのだと、希望もあります。私は今、その安心感を頂きながら、毎日を生きています。行き先が定まらなければ、不安になります。「自分はどうなってしまうのだろう」と思います。でも、結末がしっかりと分かれば、不安も和らぐでしょう。南無阿弥陀仏と称えることは、その往く末がはっきりと定まるのです。
不安が一切ないわけではありません。だからこそ、阿弥陀さまの存在が私は有難いのです。「極楽浄土に生れたいと願って南無阿弥陀仏と称える者は必ず極楽浄土に救う」という阿弥陀さまのお言葉を信じて、私は今を精一杯生きています。