子どもの頃、外食をするとあれもこれも食べたいとなりました。両親からは「まず食べられる分を頼みなさい。それからだ」と言われました。結局食べられないのですが…。今では、私が子ども達に伝えています。
ある男が金の 卵を一日に1個産む鶏を手に入れた。「これで大金持ちだ」と喜んだ。しかし、贅沢に慣れてくると、欲しいものがどんどん増してくる。お金が足りない。一日1個しか産まないことに不満を持ちだした。そして「2個でも3個でも産むんだ」と言って、鶏のお尻を叩いた。ところが全く効果がない。しまいには「鶏のお腹の中には金が詰まっているはずだ」と思い、鶏を殺してしまったのである。お腹の中には金は見つからなかった。結局、一日1個の金の卵さえ手に入れられなくなった男は「あぁ、すべてを失った。欲を出さねば良かった」と嘆いた。
私たちは欲に悩まされます。美味しいものを美味しく頂くことも大切ですが、何より食事を頂けることに感謝しなければなりません。私たちが食事を頂くのは、天地の恵みを頂き、「生」を頂戴して生きているからです。そして、その食事が私たちの身体を作り、生きる活力となるからです。
合掌の掌は「たなごころ」と読みます。「手の心」です。自分の心と天地の恵みや作ってくださった方の心と自分の心を合わせるのです。欲深くなってしまうと、感謝の気持ちはどこか遠くに行ってしまうのです。
合掌