称え続けて わかること  2021年09月01日

 私はお念仏を称えるとき、いつも色々な思いを巡らせます。月参りや法事などでは、その亡き方を。本堂でお勤めするときは、祖父母や極楽浄土、そして阿弥陀仏のことを。いつか会える日を思って称えています。

 幼いころから、なぜか死ということに敏感で怖がっていました。死んだらどうなるのか?家族とまた会えるのか?それは、僧侶になってからも続いていました。そんな不安をことあるごとに感じていたのです。26歳のとき、先輩僧侶のお誘いで、浄土宗のことを改めて勉強しなおせる機会をいただけました。その時に、浄土宗の教義を再確認できたことで、死への恐怖が和らいぎました。なぜなら、念仏者(念仏を称える者)になると、阿弥陀仏という仏様が、極楽という世界に導いてくださいます。極楽には、一切の苦しみがありません。なんと、そこで先立たれた方と再会できるのです。
その再確認ができてから、死への恐怖よりも、極楽浄土に往きたいという思いの方が強くなったのです。また、私自身のお念仏に対する姿勢が変わったと思います。お念仏の最中、極楽に往きたいと願い、また、亡き方に思いを馳せ「またいつかお会いしましょうね」という気持ちで称えられるようになりました。

 今、死への恐怖がゼロになったわけではありません。しかし、その恐怖よりも、お念仏をお称えすることでたくさんの方と極楽浄土で再会できることがわかり、極楽に思いを馳せることができるようになったのです。
合掌