一声一声に 想いを託して  2022年10月01日

 ドラマを見ていますと「この人のセリフは全く入ってこないな」と思うことがあります。セリフの棒読み、いわゆる大根役者と言われる役者です。そうなりますと、どれほど感動する場面でも一気に冷めてしまいます。

 私が法話を学んでいる時、先輩僧侶から「抑揚がない」と何度も言われました。その原因は2つあります。1つは、原稿を覚えてその通りに話さなければと考えていたからです。2つめは、感情を入れて法話しないほうが良いと思っていたからです。私自身、聞き手にとって良い事だと思っていましたが、聞き手からすると逆に聞きづらいとのことでした。それからは、原稿通りに話せなくてもいいから感情や想いを込めるようにすることをまず心掛けています。
浄土宗はお一人お一人がお念仏をお称えすることをお勧めします。それは「南無阿弥陀仏」の意味が「どうぞこの寿命がつきた時には極楽に導いてください」と救済を求めることと、先立たれた愛しい方に「また会おうね」という再会を約束する言葉だからです。この想いを込めて、お念仏を一声一声お称えすれば、私たちの願いは必ず叶うのです。そして、極楽にお住まいの方々は「この極楽でまた会えるんだ」と喜んでくださるのです。

 言葉に想いや感情が入ると相手に伝わりやすいです。言葉は拙くとも、熱意があれば伝わるように。
南無阿弥陀仏は短い言葉ですが、有難い言葉です。それを感じながらお念仏を称えていきたいものです。
合掌