コロナ禍が始まった時、ある動画がきっかけでピアノが弾けたらいいなぁと思いました。ですが、いいなぁと思っただけで動かず、保管してあった電子ピアノを処分してしまったことで、今さらもういいかとあきらめました。
年々年を重ねると、新しくものごとを始めることに億劫になることがあります。意欲があったとしても、なにか理由をつけて結局あきらめることが多くなっている私です。実際は、私より年上の方でも精力的に活動されている方はたくさんいらっしゃいます。ですから「できる人はできる」わけです。
阿弥陀仏は「できない人もいる」とわかった上で、「できる人もできない人も取り組める修行」を選んでくださいました。それが口称(くしょう)念仏です。自分の口でお念仏をお称えする、これ以外に特別なことはありません。特別な場所に行くこともなく、特別な格好をすることもありません。誰でも取り組める修行です。今この瞬間でさえも取り組める修行なのです。もし、この易しい修行に一つ加えるならば「極楽に生まれたい」と思うことです。それでも、たったこれだけの易(やさ)しい修行です。阿弥陀仏の私たちへの思いやりが詰まった優しい修行なのです。
ものごとを始めにくくなってきた私ですが、こんな私でもできるお念仏です。極楽に生まれたいと思いお念仏を称える易しい修行です。今さらとあきらめなくていいのです。今からでも決して遅くはありません。今からでも始められる、それが口称念仏です。
合掌