仏教用語に「精進」という言葉があります。平たく言えば「努力」と同じ意味です。生きていく限り努力することは避けて通れません。ですが、努力していると途中で目的を見失うことがあります。大切なのは「何のために」を見失わないことです。
小学生の頃は「ドラえもん」の影響もあって、どんな未来になっているのか?とワクワクしていました。大人になり家庭をもつようになった今「未来はどうなっていくのか?」と不安になります。災害、財政難、少子化、働き方、あらゆる場面で不安は募るばかりです。特に次世代の子達にとって生きにくくなっていっているように思えて仕方がありません。しかし、一方で輝かしい未来でもあるという期待もあります。職業の選択肢が増え、若くして起業する方も多い現代です。将来の幅が増えました。ただ昔も今も変わらないことがあります。それは、その先に向かって今努力する、ということです。今さえよければいいのだ、という考え方もあるでしょうが、少し先を見越して努力する方がいい、と私は思うのです。この考え方は、浄土宗においても同じ考え方だと思います。浄土宗では、その努力する方法として「お念仏行」を行います。いずれ訪れる「死」を見据えて、お念仏行に励むのです。
浄土宗は後生を想い、後生のために、今お念仏をお称えします。阿弥陀仏を頼り、この我が身を後生、極楽に生まれさせてください!とお願いをしながらお念仏をお称えするのです。