妻の実家は、京都府京田辺市にあります。今は開発が進み夜でも明るくなりましたが、13年ほど前は、夜10時にもなるとほとんど明かりがなく、真っ暗な道でした。そんな中、月明かりは、独り寂しく車で走る私の心に、安心を与えてくれていました。
明かりというのは、我々にとって安心を与えてくれるのではないでしょうか。
阿弥陀さまはいつもそのお身体から、光を放っておられます。その御光(みひかり)を、『摂取の光明』(せっしゅのこうみょう)とお呼びします。それは、お念仏を称える者を照らし守護し、極楽浄土に救いとってくださるからです。色んな仏道修行がある中で、お念仏を称える者を選んで救いとってくださるのは、阿弥陀さまご自身が仏となる前に「極楽に生まれることを願い、南無阿弥陀仏と称える者を必ず極楽に救いとれる仏と成る」と誓われたからです。
お誓いの通りに仏と成られた阿弥陀さまは、常日頃からお念仏を称える我々を、その御光で照らし守護し、我々が死を迎えるその日まで照らし続けてくださるのです。
ゆえに、南無阿弥陀仏と称えれば、阿弥陀さまは我々を決して見捨てることなく、いつでも見守ってくださり、そして最期には極楽に救いとってくださるのです。
雲で見えない時でも夜空に月は必ず輝いています。
阿弥陀さまの御光は途絶えることなどありません。信仰への疑いの雲を取り除き、お誓いの通りに、お念仏を称えたならば、阿弥陀さまは、あなたを見捨てることはないのです。