月影  2015年10月02日

 夏の空より、冬の空が澄んで見えるのは、気温が低く空気中の水蒸気やチリなどが少ないために、冬の空の方が澄んで見えるそうです。街灯のない寒い地方では、都会で見られない美しく輝く夜空を見上げられるのでしょう。

月影のいたらぬ里はなけれども
ながむる人の心にぞすむ

 街灯も無い時代、夜になると月明かりが頼りでした。いつしか街灯ができ、月明かりよりも身近な明かりを求めることになりました。それでも月はどんな時も夜空に出て、いつも変らず輝いています。夜空を見上げれば、月の存在を確認でき、美しく輝く光を味わえるのです。
 上のお歌は、法然上人がお読みになりました。月の光はどんな人里でも届いているが、眺める人だけが、美しい澄んだ光を愛でられる、という意味です。これは、阿弥陀さまの救済の御心を月の光に例えたものです。月の光と同じように、阿弥陀さまは、いつでも誰でも平等に救おうとしてくださっています。「今充分に幸せ」と感じておられても、苦しみや悩みは急に襲ってきます。その苦しみから、お念仏をお称えする者を、究極の安楽の世界へと救ってくださるのです。
 月を見れば、美しい光を味わえるように、お念仏を称えれば、救済のお慈悲を心から味わえるのです。

 雲があると月は見えませんが、いつも夜空には出ています。我々自身が心に雲をかけていては、阿弥陀さまのお慈悲も味わえません。心の雲を取り払い、阿弥陀さまを信じて、お念仏をお称えしてまいりましょう。